ゆでそら豆

こころにうつりゆくよしなしごと

濡れ衣と秋雨

 ある日の遠出帰り、雨に見舞われた。

 季節は秋で、折りたたみ傘はあったものの横殴りの霧雨で、すっごく寒かった。
 見れば50M程先にドン◇があったので、びしょ濡れで駆け込んでタオル三枚靴下ホッカイロその他を購入。

 会計を済ませ、トイレの個室でずぶぬれに濡れたものを換えタオルで拭き、冷えた足裏にホッカイロを貼り。あれこれ整え、リュックに洗濯ものを突っ込み身だしなみを整えた。全身濡れて寒くて気持ちの悪い状態を脱せたことで心底ほっとしたので、
「あー助かったー!◇ンキあってよかった~……風邪ひくかと思ったわ」
と、しみじみ独り言を漏らしながら個室から出た。(トイレ入った時は誰もいなかったので油断してた)洗面で手を洗おうとしてふと顔を上げると、私の入っていた個室の、隣の空き個室に、エプロン姿のドン◇の女性店員がいて目があった。
 少し年下の茶髪の彼女は、何故か私の個室側の壁に張り付いていた。
 困惑して硬直する私。なんかこちらを見る店員。壁に張り付いて、私の入っていた個室の様子を伺ってましたポーズのまま、見つめあうこと数秒。

(えっ怖い何?私の個室の音聞いてたこの人めっちゃ聞き耳立ててた!?勤務中に何やってんの?人の用便の音を聞くとか変態か!?って、まあそれは違うだろうけど

 あっもしかして買った商品をごそごそやってたから、その音で盗難とかと疑われたとかかな!?失礼なちゃんと会計した商品だが?!?レシート見せるけど!??これが本当の濡れ衣ってやつ!!ダハハ!!
 いやでも盗難チェックってこんな変なチェックの仕方するもの?万引き対策やったことないからわからん、そもそもドア開いてるし。もし私が窃盗犯だったら、個室を出てきたところで声かけて確保する予定だった、とか??いやでもこんな潜み方をするもんなの忍者じゃあるまいし。それともこの人が単純にトイレでサボってただけってわけじゃないよな・・・?)

「・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・・・」

 疑念と疑問の満ちた緊迫感数秒のち、まじまじと見つめる私から目をそらし、女性店員は何事もなかったかのようにスッと出ていった。

 いやまあ窃盗犯が「助かったー」とか「ド◇キあってよかったわ~」とかわざわざ独り言は言わないよな。

 もし疑われてたのなら独り言をつぶやいたことでそれを解除もしたのだろう。

 多分。

 何もかもが憶測だけど。

 こうして私は◇ンキのトイレで聞き耳を立てられ、挙句独り言も聞かれ無言で立ち去られ、モヤモヤしたまま残された。店員の意図ははっきりしていないが、店員に不審がられたのかもしれないという記憶は、奥歯にはさまった鳥のささ身のように、この季節になるとたまに浮上する。

 その場ではっきりくっきり確認をしないと、モヤモヤした記憶は何年でも残る。実によろしくない。

 犯罪を疑われていたのかもしれないとか不愉快だし次などなくていいのだが、不明瞭な事があったらその場ではっきりくっきり確認したいと思う。

 のちの自分の精神衛生のために。

 トイレでその店の店員にチェックされていたって出来事が衝撃的過ぎて、どう対応するのが正解だったのかはいまいちわからないが、私がクレーマー体質じゃなくて良かったね。

 あれ以来、あの店はなんとなく敬遠している。

こども電話相談室のOP

https://youtu.be/mMHL0F4y1L8 

子供のころ、よくラジオから流れてきていたこども電話相談室の曲。

土曜日の午後、どこにいってもラジオをかけたままのお店があって、なんとなく耳コピで歌っていたんだけれども、この年になって歌詞を大幅に間違えていたと知り、驚愕している。

ダイヤルダイヤルダイヤルダイヤル♪の部分はいいとして、

「もーしもし どしたどしたー? もーしもし どしたどしたー♪」

だと思ってた。

「もしもし?」と問いかける子供に対して

「どうしたどうしたーなんでも教えてやるぞ~?」

みたいな

親切なおっさんが返事をしている口調がそのまま歌になっているんだと、ずっと信じ込んでいた。

 

正解は「もしもしどしゃどしゃ」とのことで、今でも実に納得がいっていない。

景観破壊とか耐用年数とかで問題になってるあれ

一昨年、派遣先で知り合った子が「親戚が太陽◎発◎パネルの誘致をやってる。けっこういいお金になるんだって♪」とウキウキでいうのを聞いていた。

そして現在「ここの巨大な太◎光パネルが問題になっています」とパネル問題でニュースに何度か上がっていた場所、その人のご親戚活動箇所と住所が全く同じで草。

そのご親戚のおっちゃん、ニュースになるほど問題になるとは全く考えてなかったろうな。

「ご飯は皆で食べた方が美味しい」ってアレが流行り過ぎて辛い (読了12分)

少数派であることは分かり切っている人間の自分語りである。

私は表題の「ご飯は皆で食べた方が~~」のアレが吐くほど苦手だ。
どんなに好きな作品でも、いい話的にこの論を持ち出されると真顔になって早く終わんねーかなと思うし、あんまりその寒い芝居が続くようなら番組自体を見るのを止めてしまう。
虫唾が走って、比喩でなく全身に鳥肌が立ってしまうのだ。
好きなキャラクターがこれを言い出したら(残念ながら昨今の作品ではお約束の一種として必ずと言っていい程ある)薄目になって、推しへの愛情はそのままに、そのシーンだけは私の中でなかったことになる。その手の茶番があまりに多いと、いくらその作品を気に入っていても視聴することや読むことを止めてしまう。
それぐらいには受け付けない。
私は日本刀を集めるブラウザゲームが好きだ。鬼になった妹を箱に入れて戦う少年たちの物語も好きだ。夏休み、憧れの先輩の田舎に連れていかれ電脳世界で世界を救うことになったDKの映画だって嫌いじゃない。
全て愛すべき作品であったが、非常に残念なことに、どの作品もすべて上記のサノバビッチな概念を使っていた。
ガッデムである。
万人が「そうだよねえ、ご飯はみんなで食べないと美味しくないよね」とかで笑顔になれると思うなよ。
初めにも書いたが、これは少数派の感覚なのだろうということも解っている。
万人からはみ出しているのだから、万人向けの描写も我慢して飲み込むべきなのかとも思う。
飲み込み切れないからここで吐き出すのだ、予め「少数派」であると前置きして。
通常、「複数人での食事」というものは「まともな家族の団欒」に端を発し、プラス感情をもたらす概念として通用するものなのだろう。
羨ましい限りだ。
「みんなでごはん」は私にとっては拷問の合図に等しい。
「ご飯はみんなで食べた方が美味しいんだぞ」的なエエ台詞に親でも殺されたのかと言えば、ちょっと近いものならある。よくある機能不全家庭で育った私のこれが、多分恐らくレアケースだということは分かり切った上で、興味があるなら聞いて欲しい。

 

世の中にはどうしたって少数派ってものがいる。
私は育った環境上、複数での食事が嫌いだ。ごくたまにであれば他人と食事も楽しいが、昼休みはいつだって一人で食べたい。話すと食べるを同時にするのが苦手なシングルタスクな部分もある。
私の育った家庭では、家族全員でそろっての食事時は毒親ONステージでしかなかった。
宗教団体の勧誘員である母親を只管褒めちぎり持ち上げ、もしくは激務で帰らない父親を口汚くののしる母親に同調して、言いたくもない悪口を言わねばならない。母の機嫌を少しでも損ねれば、ランドセルの中身を雨の濡れそぼる庭に放り出され、夜中それを拾い集める羽目になったり、細々とした嫌がらせをされる。私にとっての「おうちでの食事」は、少しも彼女の気分を害することなくその場を切り抜けることに集中しつつ、出されたものを食べなければならない場だった。
そして、母親の作ったものは高確率で髪の毛が入っていた。
母は食材管理において「消費期限なんてあてにならない」「火を通せば大丈夫」派だった。
たまに腐ったものが出ては、おなかを壊す。しかし母は事実を指摘されようものならヒステリーを起こし、物を投げ泣きわめいて荒れ狂うので、口に入れて違和感があっても中々吐き出せない。
食事管理の甘い母親の食事に殺されない為に、小学生低学年から私は自炊を覚えた。台所が使えず、母の食事がやばそうな時は小遣いで買った菓子を食べてひたすらしのいだ。料理を教えて欲しいと一度だけ頼んでみたことはあるが面倒くさいと拒否され、私は当時あった家庭科の教科書を必死でめくり、白米の炊き方や調理の仕方は教科書で覚えた。
父親は激務の高収入会社員で、帰宅をすれば母と喧嘩をする。両親が言い争いをする怒鳴り声で飛び起きることは何度もあった。普段から宗教活動に、ネットワークビジネスの集会に熱心な母親は、パートタイムで働いていた場所を止めて専業主婦になっていた。
母親の信奉する宗教団体は「家族の絆」というものを酷く美化して打ち出しており、内実がどうであっても必ず「家族は全員で食事をするもの」というお題目を垂れ流していた。
家族は愛と和で繋がるもの。宗教のお題目が刻まれた額縁が家じゅういたるところに掲げられ、そうなればまあどうなるかなどはお察しの通りだ。
謎の集会に連れていかれ、謎の集会に参加しましたという紙に名前を記入する。

ただ、母のはまったその団体は私の見る範囲ではそこまで常軌を逸脱した振る舞いを行わせる団体ではなかったので、私は長い間、母の参加するその団体が「宗教団体」のくくりに属するものだとは知らなかった。
ともあれ、母は「形だけ」まともな家庭、円満な家庭を演出することに躍起だった。
よその家にはうちの悲惨な内情を一切悟らせず、明るく楽しい家庭だと思わせること。良い子、良い家族を演じ、良い成績を取ること。従順に、母と父の感情サンドバッグとなること。
今思えば近所の人々にも片っ端から高額な品を売りつけたり宗教団体の集いへと誘ったりしていたようで、近所の人々の間で、子供である私は見事に「腫物」だった。
父がいる時だけ多少はマシになるが、私と二人きりだと本当に母は冷たかった。学校が終わってもあの母のいる家に帰りたくなくて、私はいつも意味もなく夜まで街中を歩き回って過ごしていた。
私を育てた家族の食卓は、頻繁にヒステリーを起こす母親の機嫌をいかに損ねず、いかに自分が腹を壊さず食事を済ませるか、いかに素早く食べ終えてその場から逃げ出すかというものでしかなかった。この環境で、他者と向き合っての食事に対していいイメージなどどうやって持てばよかったんだろう。
中学生になった頃、腐敗しきったご飯に気付いてこっそり捨てたことがある。しかしそれは母親に見つかり、攻め立てられた。「腐っている」ということを指摘したが、いつもそうであるように、不都合なことを母は一切認めなかった。いつものようにヒステリーを起こした母は三角コーナーから私が捨てた白米を素手でつかみ出し椀に戻して押し付け、「ほらぁ!!食べられるでしょうがぁぁ!!」と絶叫してきた。そのあとどうしたか、今はもう細部まではっきりとは覚えてはいない。ただ私は意地でも食べなかったので、機嫌を損ねた母にそのあと一か月程、嫌がらせを続けられたことだけはぼんやり覚えている。
それ以来、私はもう母に食事のことで逆らうことは出来なくなっていた。
母の買い物の仕方はめちゃくちゃで、冷蔵庫はいつでもパンパン。奥の方からいくらでも腐った食材が異臭を放って出てくる。自分なりにどうにかしようと考えて、私は料理好きの娘、家事が好きな感心な娘と安心させ、母親が腐らせかけた食材を腐らせる前に使って処分するという技を身に着けた。
それゆえ、私にとっての食事、自炊は「食べたいものを決めて食材を調達する」というものではなく、「冷蔵庫の中で使わなくてはヤバイ野菜や肉や調味料を率先して使って食べられるものにしあげる」というものである。
後にして思えば、私のそれは完全にイネイブラーの振る舞いだったのだと思う。

 

就職氷河期でもある私は学校を卒業してもまともに就職出来ず、それ以前に「まともな親に育てられていればわかっているはず、身についている筈」の取りこぼした瑕疵に振り回されながら、自活するだけで精一杯だった。家にはいたくなくて追い立てられるように一人暮らしをしたが、キャリアもろくにない非正規での短期、日雇いを繰り返し、結果として体調的な問題を起こし実家に後戻りをする羽目になった。
実家は経済的には問題なかったが、それも父親の退職金によるものを目減りさせるばかりのもので。現実的な問題からはひたすら目をそらし逃避することしか出来ず、私が家を出た後の両親は、精神状態がめちゃくちゃになっていた。

家賃光熱費を節約できる実家にあくまで一時的に避難し、体勢を整え自分の人生について挑みなおすつもりだった私の10年間は、

うっかり実家に戻ったせいで、己を気の毒がり現実を直視することを嫌がる両親に全力で依存されしがみつかれ、あっという間になくなった。
父は亡くなったが、長くなるのでここでは割愛する。
ともあれ、実家に戻って最初の一か月で、私は再び腹を壊した。母親の腐敗食は悪化していた。

油断して母の食事を食べ体調を崩した私は、速攻で電子レンジと冷蔵庫を購入し、自室だけで食事を完結出来るように環境を整えた。
とはいえ私の部屋は普通の洋室であり、火を使う調理まではさすがに出来ない。メインの食事は台所を使いつつ、とにかく母からの接触を避ける為に短時間レシピに習熟した。

宗教団体の腕利きの勧誘員でもある母は、他人を自分の思う方向へと誘導する話術が非常にうまく、拒否は基本的にスルーする。何度言っても気に入らなければなかったことと一緒なのだ。
下手に会話をすれば話に引きずり込まれ、彼女の問題に巻き込まれ、気づけば勝手に彼女の駒としてスケジュールを決められる。はいと言うしかない状況に追い込まれる。
凪のお暇の凪ちゃんの人生、私にとっては全くもって他人事ではない。
赤子から毒母に仕込まれ育った私はそれを上手くかわすことが出来ないので、同居はしていても、家族とはまともなコミュニケーションすら取らなくなっていた。

具体的に言うと、挨拶すれば挨拶に絡めて怒涛のように話しかけられ、彼女のペースに巻き込まれかねないのだ。

とにかく生活に母親を介入させたらそこから侵食される。それだけは嫌なので掃除も洗濯も全て自力で回収し、母には一切手出しをさせない事に神経を使った。

結果として、娘に介入出来そうな範囲が食事しかなかったのだろう。
母はあの手この手で娘に自分の作ったものを食べさせようと躍起だった。
油断して自作の料理を鍋ごと冷まそうとコンロの側を離れれば「味直ししておいてあげたわよ」と勝手に弄られる。うっかり出来上がった料理を置いておけば「ごちそうさまぁ」と自分たちのために作ってくれたのだろうと決めつけられる。
幾度断っても私の分の食事は用意され続け、自室を出て階下に降りれば母は「食事はみんなで食べた方が美味しいのよ」という常套句を、わざと声を大きくし聞こえよがしに言ってくる。
母の攻勢は執拗で、台所のテーブル、居間の卓上、とにかく私が使う場所を狙って皿を置いておくのだ。ひっそりと。その場にいれば、ひきつった愛想笑いで「それ、良かったら食べて」と声をかけてくる。いつでも笑顔でいればまごころは必ず通じる、そう宗教の教えを信じ切った歪んだ笑顔で。多分そうやって通い詰めて信者を獲得しているのだろう。
介入してこようとする母から逃れるのに必死なまま、病を得た父の事も心配で身動きが取れず、父は亡くなった。

色々取りまとめて落ち着いた頃、私は知人の住むシェアハウスに観光がてら宿泊させてもらうことになった。

そこは住民が大勢で食事をする形式だったが、夕食時に私は愕然とした。
ぞっとしたのだ。無邪気に、普通に、そこの住人から夕飯へ声をかけられた事に。

場所も人も全く違うのに、そのシチュエーションそのものに怖気が走って、それから、その自分の感じ方に愕然とした。

「一緒に食事しよう」と声をかけられる事そのものが、毒母のせいですっかりトラウマになってしまっていたのだと、その時になってから漸く気が付いた。
人間、あんまり異常な状況に己を適応させようとしすぎると必ず弊害が出る。
止む終えない状況は幾らでもあるだろうけれども、そこに自分を慣らしてしまうと、あとでそのリハビリが中々にしんどいのだということについては、私は何度でも警鐘を鳴らしたい。

そんな経緯を経て、私は「食事はみんなで食べた方が美味しい」というワードが嫌いになっていた。
美談のようなその概念は、”私にとっては”自身で思考することを厭う毒母が、家庭という密室内で配下を従わせる為の詭弁としてブンブン振り回してきたえぐいモーニングスターでしかない。
ゲームであろうが漫画であろうが、小説であろうが映画であろうが、登場人物がドヤ顔であの台詞を言い出す都度、鳥肌が立ってがっかりしてしまう。

無視された少数のような心持になる。
勝手を言わないで欲しい。
他者に強制しようとする人間に、都合のいい言い訳を与えないでほしい。
一人で食べる方が余程美味しい、そういう環境だって世の中にはある。
そういった環境にある人間を、幸せな環境にいるのが当然だとして、無見識に追い詰めないで頂きたい。
この言葉を盾にして腐った食事を子供に食べさせようとするような病んだ母親など、我が家以外にはそうそう存在しないと信じたいけれども。

 

だから私は「複数で食事をしようと誘われること」「食事は大勢で食べた方が美味しい」というワード、この二つが地雷だ。
そのことに気付いた時は心底途方に暮れたが、好きでそうなったわけではなく、自力ではどうしようも出来ない。認知行動療法とかが有効だろうか。

 
2020年、そんな中でのコロナ禍に、一般的ではなくはみ出しがちで非常識な私は、実は少しだけ助かった。
勿論、大勢が犠牲になった疾病を歓迎する意味合いは決してない。私自身、テレワークでもなく給与も低い非正規派遣でマスク装着をしたままの労働、生活も厳しくこれからを楽観など全く出来ない。早く経済は上向いて欲しいし、安心して日本で暮らしたい。ウイルスそのものには全く持って良い感情など抱きようもない。
私が助かっているのは何よりも「対面での食事」が感染対策上、あまり望ましくないという部分だ。

これのおかげで、会食に誘われる回数がぐっと減ったからである。
普通に生きていく上で「誰かと一緒に食事をすること」にすら忌避感を感じてしまう私の状況は非常にまずく、好きでこうなったわけでもないのでしんどいのだけれども、
感染対策と称すれば、なんと多少は避けることが許される世の中になってしまった。
多分こうならなければ、対面での食事すら忌避するような私は行き場を失っていた。

己の中の忌避感に気が付いた時は絶望したけれども、
私自身は今のこのご時世のうちに、オンラインなどを駆使してこの自分の山盛りのトラウマを癒し、なんとか生き抜いていこうと思っている。